生命のストラテジー(2)

「生命のストラテジー」(松原謙一・中村桂子共著、早川書房)より。


(つづき)生命のストラテジーの特色は、矛盾対立を組み込んでいることだ。多様だが共通である。安定だが変化する。対立はいたるところでバランスよく保たれている。正確だが、まちがいをするし、いいかげんなところがある。厳密だが、遊びがあり、ゆらぐ。正常と異常とは、区別が判然としない。まさにヤジロべエだ。これらの矛盾対立が、生命においては、われわれが思うほど鋭くて相容れない対立の構図をとっていないところがおもしろい。「きれいはきたない、きたないはきれい」(シェイクスピアマクベス」)――この特徴は、DNA分子そのものの内臓する性質によっているのである。
遺伝子系は、DNAの取り込み、放出、重複や増幅をテコとし、塩基の置換をそれに加味して変化してきた。ありあわせの素材を使って継ぎ足し、建て増し、改造し、一つの均整のとれたものを作り上げてきた。ポップアートのように。われわれの根底の設計図がポップアートとは!しかも、この設計図は、絶え間なく改造されているのだが、不思議なことに、そこには今を生き続けられる多様化を作り出すという以上の設計思想はないようだ。まして最後の完成目標はないらしい。それどころか、改造の結果が思わしくないものまで構わずにどんどん作り出している!



多少具合が悪い遺伝子を持った個体も、集団の中に生き続けられるという生命の寛容さも見てきた。これができるのは、われわれの設計図が正確無比だからなのではなく、むしろ、ゆとりのある柔軟なものだからである。もう少し自分に引きつけて言うなら、いいかげんなのだ。これが生命の流れのしたたかさの秘密であろう。ガッチリと規則を決め、ガンジガラメに、一つの誤りも無くことを運ばせるシステムに対して、このように、過ちも許す寛容さ、適当に対処の手をつくす柔軟さは、われわれをほっとさせる。生命は、賢くてオプティミストだといいたくなる。それに、多少具合あ悪いといっても、それは今、われわれが置かれている環境下での話だ。
しかし、少し長い時間に目を転じれば、状況は決して呑気ではない。個体の、あるいは種の上にふりかかる選択の気まぐれ、過酷さ、、、、生命の歴史に残されている大絶滅の記録は、そのほんの一部を示しているにすぎない。われわれの見ている生物は、みんなそれをかいくぐって続いてきたものばかりである。(つづく)

「生命のストラテジー」(松原謙一・中村桂子共著、早川書房)より。