死もまた生の一部

「安らぎの生命科学」(柳澤桂子著、早川書房)より。

  • 五本指の手袋を編むには、一本づつの指を指のつけ根から編んでゆくが、神はこのような方法は使わない。ラケット型の肉のかたまりをつくっておいて、四本の切り込みを入れて五本の指をつくるのである。ラケットを五本の指にわけるために、指の間にあたる部分の細胞を殺して除去する。このような細胞死は、アポトーシスと呼ばれている。一方、酸素の欠乏などによって起こる病的な細胞死は、ネクローシスと呼んで区別している。アポトーシスは、指の切り込みを入れるような、発生の途上で不要の部分を取り除く場合に起こる。
  • 生命現象のなかにこのような例はたくさんある。乳腺のもとになる乳腺原基は、胎児では男にも女にもおなじようにできるが、男の子では、アンドロゲンという男性ホルモンが分泌されて、乳腺原基の細胞にアポトーシスを起こさせて、乳腺原基を取り除いてしまう。アポトーシスは、受精卵からきまった形の生き物をつくるときばかりでなく、がん細胞などの体内の異物を除去するときにも起こる。また、ヒトの成人の脳では、神経細胞が複雑な回路を作っているが、その形成過程でたくさんの神経細胞アポトーシスを起こす。神経細胞を過剰につくっておいて、うまく回路を形成したものを残し、不要なものは殺してしまうという作戦をとっている。

     

  • アポトーシスでは、ネクローシスとちがって、まず、核の中のDNAの断片化が起こる。ネクローシスは、細胞が息絶え絶えになってやむなく死ぬのであるが、アポローシスでは、細胞はDNAを分解する酵素を使って積極的に自分を殺す。自爆するのである。
  • 細胞の中にはこのような自分を殺す遺伝子が組み込まれている。生きる必要のあるときには、この自殺遺伝子の働きは他の遺伝子の働きによっておさえられている。ちょうど、毒薬をもたされたスパイのように、組織のために自分が消えなくてはならないときには、細胞はいさぎよく死んでいくのである。アポトーシスをさまたげると、その個体は、正常な生命活動をいとなめなくなってしまう。
  • 死もまた生の一部である。「私」は、多くの死を内臓しつつ、六十兆個の細胞の総合として生きているのである。

                 「安らぎの生命科学」(柳澤桂子著、早川書房)より。