ヘテロでうまくやっている

「遺伝子とゲノム」(松原謙一著、岩波新書)より。

  • 生存に不利な変異遺伝子はヒトの集団(=ゲノムの集団)から自然に排除されるはずですが、それらの変異遺伝子が存在する頻度が意外と高い場合が散見されます。ここで、(以前に名前の出た)へモグロビン病をもう一度取り上げましょう。からだのすみずみまで酸素を運ぶのがヘモグロビンの役割ですから、その遺伝子に変異がおきてうまく働かなくなると生きていくことができません。けれども、人類の集団中には、ヘモグロビンに不具合をもたらす変異遺伝子が意外といえるほどたくさんあります。ヘモグロビン病の大部分は気温の高い地域に暮らしてきた先祖から変異遺伝子を受け継いでいます。
  • 私たちのゲノムは、父と母から1セットずつ受け継いだものです。私たちの細胞核にはゲノム二つ分づつの遺伝子DNAセットがはいっているのです。これを二倍体と呼んでいます。細胞が分裂増殖するときは、このDNAが倍化して、それぞれの娘細胞に分配され、二倍体の細胞が二個できます。ところが、精子卵子ができるときにかぎり、二倍体の細胞からまだよくわかっていないしくみで一倍体の細胞が生み出されてきます。とにかく、わたしたちのからだは二倍体であるおかげで、一方の親から変異をもっていてよく働かない遺伝子をもらっても、もう一方の親から変異していない遺伝子をもらっていれば(これをヘテロの状態とよびます)、後者の遺伝子が”優性に”働き、前者の遺伝子は劣性(劣っているのではなく、働きを示さないという意味)となって、からだ全体としては滞りなく生活できるのです。これに対し、もし両親おのおのから変異のある遺伝子をもらうと(これをホモの状態と呼びます)、劣性と劣性、つまりちゃんと働く遺伝子がないので、目に付く症状があらわれます。ヘテロなら、変異遺伝子を持っていてもうまくやっていける、というのは自然の驚くべき発明です。

          

  • ヘモグロビン遺伝子の変異の話にもどりますが、両親がヘテロ同士の場合、おのおのから変異のある遺伝子を受け取った子供の生まれる確率は、2分の一×2分の一=4分の一、つまり四人に一人の子供はヘテロでなく劣性のホモとなり、そうした子供は学齢前後に死んでしまう宿命を担っています。反対に四人に一人の子供は両方とも変異の無い遺伝子を受け継いだホモ状態で、完全に「健常な子」になります。
  • それでは気温の高い地域に人々の中に変異を起こしたヘモグロビン遺伝子がひろく分布している現実をどう理解したらよいでしょう。ヘテロ状態でしか生きられないような遺伝子の変異は、代を重ねるうちに集団から排除されてしまうはずだ、ということは直感でもわかることです。
  • 実は「ヘテロでうまくやっている」のです。(ヘモグロビン遺伝子の変異が)ヘテロのヒトは生存できるだけでなく、マラリアに強いのです。ヘモグロビン遺伝子の変異のなかでもとくに有名な鎌状赤血球貧血と呼ばれる病気の分布はマラリアの広まっている地域と一致しています。(この変異遺伝子をもっていると赤血球の中で増殖するマラリア原虫が増える前に赤血球が壊れることで、マラリアの発症が抑えられる)
  • マラリアは、現在でも地球上で毎年200万人もの死者を出していますが、このマラリアという淘汰圧が、この病気の広まっている地域に生活した先祖のなかに起きたヘモグロビン遺伝子の変異を温存し、代々伝えてきたのでと考えられています。
  • 一人のヒトを選んで、そのゲノムを調べると、単因子病の致死的な変異が20くらいは見つかるだろうといわれています。「健康」は「ヘテロ」のおかげ。つまり、父母から1セットずつのゲノムを受け継ぐことによって保証されており、われわれはそれを知らないだけなのです。「ヘテロでうまくやっている」のです。
  • もし地球上にあまねくマラリアがいきわたっていたらどうなったでしょうか。変異を持ったヘモグロビン遺伝子がひろく人類にいきわたり、人類の大部分はヘテロでうまくやっているという状況になっていたのではないでしょうか。しかし、もしそうなっていると、生まれた子供四人に一人を学齢前後に失ってしまう、という宿命を担った人類になっていた、ということになります。

                「遺伝子とゲノム」(松原謙一著、岩波新書)より。


<参考>
「4分の一の奇跡」という映画を紹介します。
養護学校で教諭をしている一人の女性と子供たちの交流をつづり、命の尊さを説く心温まるドキュメンタリです。障がい者がもつ4分の一の遺伝子の謎を解き明かし、「すべてが必要だから存在する」ことに気づかされます。
自主上映を呼びかけています。HPは以下です。
   ドキュメンタリー映画「1/4の奇跡~本当のことだから~」公式HP|入江富美子監督、山元加津子先生